野球嫌いが、ソフトボールの練習に参加する!

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 新区長になった女性区長を支援することが、元区長の継承という意味での本当のお手伝いだと思っている。

やはり、自分のときだけ物事がうまく行って、次の区長がうまく行かないと言うのは、区にとっては、マイナスであると思う。

その女性区長とは、ひと昔、若き日の僕と大喧嘩した仲である。区長の引継ぎをきっかけに、大仲直りをしたので、これも、区長の仕事を昨年引き受けたお陰だと思っている。

だから、僕は全面的に、時間の許す限り、お手伝いをしていくつもりである。

先日、光陽台3区は、福津市のソフトボール大会で準優勝をした。これには、監督の息子さんが仕事の忙しい中、ピッチャーとして出場できたからだと思う。でも、下地として、一昨年は、選手がたったの四人しか集まらなかったのを、昨年、私が、20名集めたことから、ドラマがすでに始まっていたのだ。

今年は、後で参加できない選手も出て、昨年よりは選手が少なかったが、応援だけは、昨年同様であった。そして、成績は、昨年以上を上げることができた。

昨年、コールド負けをしたチームに、今年は、コールド勝ちをしたのだ。恐らく、連中は、二回戦で、我々と当たっとき、「鴨が来た」と思ったに違いない。

今年は、我々チームは、鴨ではなく、鷹に成長していたのだ。柳の下にドジョウはいませんよ。世の中、そんなに甘くはありません。(*^ω^*)ノ彡

それで、今年から、毎月、第二、第四土曜日には、練習をしょうということになってしまった。今年の初め頃は、もう、区としては、今年を最後にソフトボール競技に参加するのは、止めようと言う話もあったぐらいなのに、準優勝すれば、区の雰囲気もがらりと変わってしまった。おまけに、ユニフォームも購入しょうという話も出てきた。

区の予算が厳しいのだが、「総会でなんと言われようと、そんなの買ってしまえば、それまでだよ。」と、言って、新区長と体育部長にケシカケタ。まあ、上着と帽子だけなので、そんなに、ガタガタ言う金額ではないと思っている。

総会の時は、今度は、区長ではないから、口喧嘩もできるので、援護射撃は任せといてと言って、購入に対しては、大賛成した。

それで、野球嫌いのこの僕が、というより、野球が苦手のこの私が、今日の初練習に息子から誘われて、出かけていった。ちょうど、区内のグランドでは、光陽台南の中学生の子供たちが練習していたが、それとなく、試合をすることになった。

相手が、まだ子供なので、もちろん手加減はしたが、なんとなく、負けてしまったので、苦笑い。その後、トスバッティングの練習など色々やったが、まあ、私を除いては、球に追いつけれるような動きが出来て、まずまずの練習成果であったと思う。

こちらとしては、健康増進に散歩での歩きも良いが、やはり、時には身体を機敏に動かすことも大切だなあ~と感じた。だから、球が取れるか取れないは、二の次だと負け惜しみで思っている。バッティングだけは、目が良いのでしっかりと球を捉えてどんな球でも打ち込むことができるから、これだけは自慢である。

こうして、気持ちの良い汗を掻いた後に、入浴と、ビールのうまみを味わうのが、何ともいえない人生の至福のひとときに変身する。やはり、スポーツの良いところは、こうした後味を堪能できることに他ならない。

ショルティは、親父の下手な練習光景には、さらに目を細くして、高台のあずまやで見つめていた。┐(´д`)┌ヤレヤレ

「親父も変わったものだ。あんだけ、野球が嫌いだったのに・・・でも、親父は、こうしたお付き合いを楽しんでいるのだなあ~」と、達観して観ていた。( ´_ゝ`)フーン

五時のサイレンが鳴るまでおとなしく見つめていたが、サイレントが鳴るのと同時に、一緒に「うぉ~おん」と遠吠えで、練習の終わりを促した。 サヨーナラー(_´Д`)ノ~~

しばらくして、連れて帰ると、尻尾をふりふり、嬉しそうな顔をして、お陰で、僕も、外に居る時間がたっぷりあったよという満足の顔であった。でも、次の顔が、「親父、ご飯だよ・・・」と、催促する目つきに変わっていた。 ヾ(´ε`*)ゝ エヘヘ

by  大藪光政

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白内障の手術体験版!

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師走の月初めに、白内障の手術をしました。

これについては、「科学との出合い」にて、手術を受ける前の成り行きが書かれていますからご参考までにお読みください。

さて、手術は左眼の片目だけをお願いしました。何故かと言うと左眼に比較して右眼は、まだ手術するには早過ぎる程度の進行だったからです。(何故、左と右の進行の度合いが違うのか?謎です。医者に聞いてもわかりません。)

それと、もうひとつの理由は、左眼と右眼の近視の度数がかなり違っていて、左眼がかなりきつい近視でしたので、白内障の手術で遠方が良く見えるレンズを入れることで、視力のバランス解消に繋がるからです。

ただ。私のように五十代で白内障の手術をされる方は少ないのですが、私の場合何故するかと言うと、先程の問題とは別にあって、理由として、読書で不自由しているので思い切りました。つまり、日常生活においては、まったく影響がなく不便も感じませんが、難しい本、たとえば、哲学書なんかを読んでいますと、書いてあることが難解なのに小さな字を追うのにとても疲れるからです。(右眼だけで読んでいる状態では、とても、眼精疲労が溜まります)

入院先は、福岡市にある林眼科病院にしました。ここは、白内障の手術実績がかなりあって、検査も複数のスタッフと医師により見てもらえるのでリスクが少なくてよいのでは、と思って選びました。何せ、大事な目ですから、失敗は許せません。

手術の前の検査については、「科学との出合い」に書かれてある通りなのですが、手術をする先生が誰なのかは、入院するまでは決まっていませんでした。入院は、特に問題が起きなければ、片目だけですから、三泊四日での入退院の予定で入りました。

林眼科病院は、建て直してまだ一年しか経っていなくて、新しくて設備もなかなかのものです。眼科専門にしては、エレベータはもちろん、エスカレータまで完備していて、検査設備もすごいです。病室の廊下は、とても広く、ロビーみたいにゆとりがあります。

病室には、液晶テレビはもちろん冷蔵庫もあり、その冷蔵庫は電子冷却方式ですから、コンプレッサーの音が無く無音です。それらの使用料はすべて、入院費の込みになっています。ですから、まるでホテルにいるのと変わりません。

さて、入院しますと午前中に色々な検査をまたやって、最後には院長の診察がありました。ここではどうも複数の医師による確認が常とされているみたいです。そして、オペは、私の場合、院長先生と決まりました。

昼食抜きで午後からのオペとなったのですが、お昼頃近くで急にサイレンの音や、ヘリコプターの音がして騒々しくなったので、「福岡市は、騒々しいところだなあ・・・」と、思っていましたら、手術が午後四時頃になると看護婦さんから言われて、「えらい、遅いなあ」と、不満でしたが、その理由があとでわかりました。それは、近くの住吉で真っ昼間から火事が発生し、消防士がホースの消火水を目に直接受けて大怪我をしたため、救急車で急患として担ぎこまれたからです。(水晶体が網膜の近辺にまで吹っ飛んだとのことです)

私の手術は、手術前に点滴を行ったのち、手術に関する説明スタッフの人が来て、手術中の注意を話してくれました。ただ、緊張せず肩の力を抜いて目を開けて、動かずにじっと上を見ていてくださいとのことでした。

手術室へは、家族の付き添いなしで ( 事前に看護婦さんから、「付き添いのご家族は?」、「いません!」と、答えるのが少し、寂しい思いでしたが) 看護婦さんについて歩いて入りました。オペの部屋に入ってみると、長椅子が幾つか並べてあり、そこには、私以外の患者さんも二人ほど、すでに長椅子にて仰向けになっていました。手術の先客がおられたのです。まるで、歯医者さんにでも来たみたいで、これにはいささか驚きました。

長椅子にすわると、早速、局部麻酔を左耳の後ろ側と左眼の下にそれぞれ注射されて、麻酔を掛けられました。意識はもちろんそのままです。それから、しばらくして麻酔の効き具合を判断されてから、さらにその奥の部屋にそのまま移動しました。

つまり、オペをするところがその奥に分けられていたのです。ここで、天井にあるオペ用のオレンジ色に光るライトを浴びせられて、力を抜いてといわれ、看護婦さんが私の手を軽く握ってくれました。これは、とても、安心感を抱きました。(二十代の若い女性に手を握られるのは、気持ちの良いものです。)

手術の内容はだいたい写真で知っていましたが、実際は、やはり体験しないとわかりません。医師ですら自分の目を手術したことがなければ、手術を受ける体験を具体的には語れません。どんな状態だったかといいますと、とにかく、オレンジの色しか見えないのですが、そのうち、医師から、「今、切りました痛くないでしょう」とか、手術の進行を簡単に説明してくれます。

切開されて超音波のツールが入って行くと、少し目を押されている感じがします。そして、恐らくそのツールだと思う白い四角状のものが二つ見えるのです。オレンジ色の世界に、小さな四角の白い物体が見えるだけです。

それは宇宙の創世記を想像して見るようでした。とてもロマンチックに感じました。手術の痛さは感じませんでした。ぐっと押されているところがちょっといやな感じでした。でも、医者が「もうすぐ終わりますからね」とか、そして、看護婦さんも、「大丈夫ですよ」とか言って、励ましてくれます。先生から、「はい、手術は無事うまく行きました」の一言で、あっさりと終了しました。歯の治療よりも楽で短い時間でした。

手術後は、車椅子に乗っての病室への帰郷です。術後の痛みを心配しましたが、それには及びませんでした。左眼には防護用の金属の眼帯が貼られていて、夕食は片目で摂りましたが、これだとせっかくの食事の楽しみも半減ですね。見て食べる楽しさが如何に大切か!それも、両目と片目とではやはり雲泥の差ですよ。

翌日朝起きていると、看護婦さんがやって来て、「あら、大藪さん、保護の金属カバーが無くなっている!」と言われ、二人でベッドの中を見ると、なんと、ベッドのシーツにバンソウコでもって、しっかり貼りついてしまっている。「ああ、僕は寝相が悪いから・・・」と言って、看護婦さんと一緒に笑ってしまいました。

術後の診察は、理事長先生から受けました。理事長先生は、院長のお父さんで、もうかなりの年配です。でも、すこぶるお元気で、私の左眼の術後を見て、「手術の傷口は、きれいで、順調です。」といって、今度は、手術をしていない右眼を見てくれました。

すると、「うん?右眼は、目の中央にある白内障は、夜間のライトの光がまぶしく感じるはずだが・・・」と言って、院長先生に、再診してもらうように言われました。このことについては長くなるので書きませんが、結論として手術をするには早すぎるので、しばらく様子見ということで決着しました。

術後に見える感想は、左眼で見える世界はハイビジョン映像、そして右眼はブラウン管のような見え具合です。それと、もっとも驚いたのは、今まで白いものを白色と認識していましたが、左眼の手術によって、左に見える白い紙が純白に見え、右眼で見える白い紙が、なんと日焼けしたクリーム色に見えるのです。

今まで、白色を白そのものだと実感していたのが、実は日焼けしたようなクリーム色だったのに、まったく気付かなかったというこの驚きは、知覚と経験知から推論した主観というものが如何に危ういものであるかを認識したのです。

白内障手術がもたらした、この貴重な経験を大切にして来年を迎えます。

by 大藪光政

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萩城下町、青海島へと修学旅行で行ってきました!

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マルチ人間の私は、晩秋の季節において極めて多忙です。

読書もある。金属加工メーカー企業から頼まれたHP制作もある。(これについては別ブログで見解を述べます) 市長選もある。(僕は出ないけど)品質管理のTQM手法の仕事もある。来年に向けた営業マンの行動管理システム開発企画書も書かねばならぬ。年賀状も書かねばならぬ。そして、遠くの鳥との対話もある・・・。

忙しいけど充実している。。。財布は充実していないけど。。。とほほ。

12月の始めには、重要かつ、希望の手術もある。(といっても・・・命とは無縁な手術) それは、哲学書が楽に読める手術。。。。だからこの手術はこれから先の私にとって、重要な手術です。(このことについても別ブログで見解を書きます。)

区長の仕事として修学旅行を先日控えていたから、手術をその後に予定しました。修学旅行の行き先は、生徒が決めた『萩、長門の旅』です。で、その経緯をまた書くのは面倒だから・・・区長便りを引用します。これを手抜きだと思いますか?

省エネです。(以下引用)

厳しい天候を覚悟していましたが、皆さんの行ないが良いのか、なんと・・2日間、晴れ間が見えた天気でした。 萩城下町においては、史跡研究者のガイドがありましたので、とても詳しく、毛利藩の教育に対する時代の先を見た投資がすごい~ということを実感。

そして、萩博物館にても、学芸委員の方による丁寧な解説付きでしたので、さらに「萩藩が如何に日本の近代化に努めたか!」を知り、我が福津市、そして光陽台からも、これから育つであろう・・・若き志士を、温かい目で見守るのが、年長者としての務めではないかと、我々研修生は実感しました。

こうした萩市民の自負が強いのには驚き、かつ、うらやましく思いました。 一日目の学習に疲れた生徒は大谷山荘で、ゆったりと温泉で疲れをとり、宴会に臨みました。宴会の始まりで、デジカメを忘れて部屋に取りに返った校長は、女性群から大ブーイング! 

酒席の半ばで、「カラオケは?・・」と言う声が上がりましたが、よく見るとカラオケマシンの姿が見えません。流石は高級旅館、品位がある!・・・でも料金を支払えば、用意するとのことでしたが、言い出して、時間も経っていたので・・・もったいないということで、カラオケを断念しました。

なんだか寂しい宴会になりそうな気配でしたが、「皆、アカペラで歌おうか・・・」と、國さんが掛け声掛けて歌いだしたので、皆はそれにつられて、手拍子で歌いだしました。すると、なんと、皆は、自分の持ち歌、軍歌、懐メロ、唱歌、演歌、艶歌と次々に、お互いが思い出しあって唱和が始まったのです。おまけに、輪唱まで試みて楽しみました。

もちろん遅刻で叱られた校長は、罪の償いで、無形踊り(歌に合わせて適当に踊る!) を、会場のど真ん中で、仲居さんを押しのけて、踊りまくりました。おもてなしの若い仲居さんは、「こんな宴会初めてです・・・」と、感動され、「お時間は・・・どうぞ、ごゆっくり!」と言って手を休めて(仲居さん)観賞!

この歴史に残る盛り上がりで、次の日、青海島の周回と金子みすず記念館を訪問しましたから・・・あとは、ご想像にお任せします。ただ、校長の愚痴を申せば、「ロビーに集合!」といっても、皆、勝手にバスに乗り込んで「校長遅いなあ~」という、ふとどきな生徒、忘れ物と、物忘れの良い生徒には、感心しました。

でも、みんな、無事に帰って来ることが出来ました。

『生徒のお陰で、翌日の朝・・・』

 ― 死んだように爆睡して起きられなかった区長より ―

といった内容でした。若年者が、年長者を引率するのには、やはり、気苦労と言うものがあります。(最年少ですから) やはり、人生の先輩を立ててものごとを進めないと・・・でも、住民を草木だと思えば・・・色々な草木があって当たり前ですから・・・野花のようなのも、とげのあるのも、枯れかかったものもありますから・・・「いろいろあってみんないい。」(金子みすずさんのものまね。) そう思えば・・・オバタリアンも別にどうってこともないですね。

ごく自然に接すれば、結構楽しいものです。

by  大藪光政

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夏祭りに向けて・・・区長がんばる!

001_2_2 『李卓吾』の著者、溝口雄三氏に関する書物を読み終えて、気付いたことがあります。

( 李卓吾に関する書評は後日、ブログ、『書物からの回帰』にて、発表しますのでご参考までに。)

それは後半にこのように書かれています。「中国では明初以来の里甲制という制度に行き詰まりがみえはじめました。里甲というのは、十戸を一甲、十甲を一里として編成された行政単位のことで、これは主要には徴税組織として機能するものでした。」とあり、それは、わが行政区の形態と似ていると思いました。

「甲には、甲首戸、里には里長がおかれ、甲首戸や里長はその甲や里全体の徴税の責任を負うのですが、ただしこれは毎年輪番で交代するしきたりになっており、たとえば甲首戸は十年に一回まわってくるという仕組みです。このように輪番で長になるというのは、タテマエとして一戸一戸が対等だということで、これを権力の側からいえば、全戸を同階層の民戸として掌握しているということを意味します。」

ここのところまで読めば、『甲首戸』を組長、『里長』を区長と置き換えれば、まったく制度の仕組みが同じであることに気付きます。

違うのは、徴税をしていないことぐらいですが、おっと、『共同募金』、『赤い羽根募金』、『環境美化募金』など、区の収入の三分の一ぐらいは、ほぼ義務的に定額のお金を市に運んでいますから、これもある意味で徴募金でしょう。

まあ、日本も中国のそうした組織づくりをまねているのがわかってちょっとがっかりします。そんな中国のものまね行政に関与している筆者である区長は、今、夏祭りの実行委員として、ちゃくちゃくと準備を進めています。

一番大切なのは、何をやるか?のコンテンツなのですが、例年やることは決まっていますから、その点は楽です。しかし、それでもやる気さえあれば、新しく内容も追加されますから、そこに必要なのは、物と金と人です。そして、物と金は解決できても人を集めるのは大変です。これは、企業経営と同じです。

集まりにくいのは何故か?と言いますと、「大変だから手伝いたくない・・・」と言う心理と、現世利益が誰にでも一応あるからです。(区長の私でもそうですから)それは、いってみれば、面倒だからです。でも、人間は不思議なもので、使命感とか、自分を必要としているとか、人間的付き合いで義理があるとか、周りの雰囲気に呑まれるとかいったことで、ついつい積極的になってくれることがあります。

ですから、区長は全体としてのムードづくりと、根回し、そして日頃の人間関係の構築が欠かせないのです。

毎年、夏祭りになると、他の区長から、「お宅の区は・・・協力者が少ないですね。」と、云われそうな雰囲気で迎えるのですが・・・。毎年当番で成られた我が歴代区長さんは、「うちの区は、他の区に比べて、世帯数が三分の一だから、世帯数割りで行けば、同じではないか!むしろ多いいくらいじゃ!もっと減らさせてもらってもいいくらいじゃ!」と怒っていました。

それで、私が区長の番になって・・・今年の夏祭りがやってきたのです。前の区長さんからも、「世帯数割で、夏祭りの人員を出すように交渉しなされ、他の区の連中は、世帯数が多いくせに、不公平な要求をするから・・・」と、アドバイスしてくれました。

しかし、そのアドバイスを生かすためにも、逆に私の作戦は、逆に他の区が驚くような、協力者数を申し出ようと考えたのです。それによって、他の区長と他の住民に対して強いインパクトを与えてやることにしました。つまり、やるなら徹底的にやる!その夏祭りを我が区が乗っ取るということです。

幸いにも、我が区の住民の皆さんは、私の執筆している区長新聞を読んで、区長とのコミュニケーションがうまく行っているので、積極的にご参加を頂きました。

『ペンは、剣よりも強し!』とよく言いますが、私の場合、『ペンは身を助ける!』ですね。

成果は、申すまでもなく、他の区以上のメンバーを集めることが出来、世帯数の比率で云えば、ちょうど三倍以上もこちらが多いのです。ですから、夏祭りを我が区がハイジャックしたようなものです。

そこで、次に考えたのが、終わったあと、そのままでは面白くない。つまり、バタバタしただけで、コミュニケーションが無い。という問題です。

それで、夏祭りの翌日の夜に、慰労も兼ねて、反省会を行うことにしました。これは大切なことだと思います。夏祭りの当日は、実行委員や協力者は、運営に終始していて、そういった実行委員や協力者同士とのコミュニケーションがありませんから、それで解散しては住民の絆とはならないからです。

だから、ノミニニケーションをやりましょう!という呼び掛けもしました。これには、組長さん全員賛成してくれました。

後日、各区の実行委員が集まった会議で、「昨年の良かった点、悪かった点の問題が、ちっとも整理されていないので、反省会を持つべきではないのか?」といつた意見が出されたので、「うちの区は、今年はそうした企画をしています。もちろん、反省だけでなく、皆さんとの絆を持つために開きます。」と、云ったので、他区の区長は、唖然として!渋い顔。(くそ~!)

わが区に先を越された感があったと思います。今まで、肩身の狭い想いをされた我が区の歴代区長さんのかたきをとった気分でした。(しかし、後で他の区の区長さんには、ちゃんとご理解して頂くようにお話しました。敵を作ってはいけません!)

こんな風に、何事も真剣且つ、一生懸命にやっていますと、だんだん仕事が増えてきます。だから、来年の区長さんの成り手が益々なくなるという現象に成りますか?

私の場合、『住民』という不特定な人間に対して如何に、己の気持ちを反映させきるか?言い換えれば、相手住民の気持ちになりきるかという我流の『行動哲学』を試すことになるので、とても貴重な経験だと思いますが・・・後継の方には迷惑なことかもしれません。

by  大藪光政

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町内会が面白い!

004 ショルティ君の歯石除去手術後に、歯磨きの近況をお知らせしょうと思っていましたが、写真を撮るきっかけが無くて、そのままになってしまいました。そして、気が付いたら、もう五月の半ばですね。

歯磨きは、意外とうまくいっています。最初は、少しだけ真似事をして徐々に口の奥まで突っ込んで行きました。おとなしく、されるがままに気持ちよさそうにしています。やり方がうまかったのか、ショルティは、まったく抵抗無く受け入れてくれます。

飼い主の方が、時々歯磨きをサボってしまいますから、駄目ですね。写真は、フラッシュを焚いていますから、ちょっと緊張している状態ですが、いつもはリラックスしています。

005 四月から、区長としての活動が入って多忙を極めていますが、ショルティとはペアで防犯パトロールとして、散歩は毎日欠かしていません。今までよりむしろ増えていると思います。ですから、ショルティ君は四月から大変ご満悦です。

先日は、300歳ソフトボール大会がありました。年々、選手の参加が無くなって、毎年6~7人程度なので、他地区からの外人部隊の助っ人で賄っていたようです。そして、昨年はとうとう、試合後の打ちあげ反省会も無かったそうです。

それで、新区長になった私は、「こんな少ない集まりなら、ソフトボール試合は、棄権しますよ。わざわざ他地区の人を入れて謝礼をしてお金を使うのは疑問だ!」といったら、老監督が、「この区が市の大会に参加することは大切なことだ!」といって、一歩も譲りません。

そこで、今度の体育部長が人望ある方だったので、やり方次第では、うまく行くのでは、と密かに思い、あとはプロモーションでの選手集めだな・・・と張り切りました。区長新聞に募集とPRを掛けるだけでなく、体育部長夫妻の熱意ある頑張りで、結果として選手が18名も集まりました。そこで老監督は大喜び・・・でも、試合は一点差での試合展開となり、結果として練習不足のためか、所詮、草野球なのか突然くずれて、最後の回でボロ負けになってしまいました。

しかし、応援の家族数もすごかったし、後での反省会は大盛況で、婦人部隊が炊き出しまでして熱心な裏方をして頂き、昔懐かしの町内会が復活した雰囲気でした。公民館大ホールでは、まさに他地区を圧倒する賑わいとなりました。後日、近隣の区長間でも、今度のあの区はすごいなあ・・・盛り上がっているなあ~と感心仕切っていました。こうなると区長の仕事も面白いものです。

市の行政は、郷づくり推進室を設けて広域での地域づくりをされていますが、やはり元は単位区の活性化が大事なので、それを推進するのが区長の務めかな?と思っています。

当区、郷づくりのキャッチフレーズを私が、

「郷づくりは人づくりと、みんなの支え愛から!」と作って、昔懐かしの町内会雰囲気をなんとか復活しようと心がけています。

やはり、企業でも行政でもそして、国の政治でも畢竟、トップリーダーが、哲学とビジョンをもって、しっかりと実践すれば必ず道は拓けるものということを区長の仕事を通して痛感しました。それと、社会活動はやはりチームワークですね。

by  大藪光政

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ショルティー君、(犬の)歯石を手術で取る!

  会社のセキュリティ犬であるショルティ君の歯石を手術で取ることになりました。

1_5 事の発端は、顧問先の専務さんの話を聞いてからです。専務の飼っている犬が歯石の為、歯茎が歯槽膿漏となって歯が10本もぐらついて、手術で抜いてしまったようです。

それを聞いて、ショルティにも歯石が沢山ついていたので、決心して手術で除去してもらうことになりました。実は、以前から気になっていて若干取れるものは取ってはいましたが、かなりしっかりと張り付いていて難しいのです。

人の場合、歯石ぐらいの治療を手術とは言いませんが、こと犬に関しては全身麻酔をかけるので手術となります。でも最初はなんと大げさな・・・と思っていましたが実際、先生にお願いして後学のため手術に立ち会いましたところそれはまさしく手術そのものでした。

3_4 手術をお願いした先生は、いつもの掛かりつけのふくま獣医科病院の先生です。この先生は、普段は犬と猫に限定した治療しか行なっていませんが、怪我をした野鳥を時々連れて行きますと親切に診てくれて治療も無料でしてくれます。そうしたお付き合いもあるので気安く色々質問したりしています。

  PM1:00から病院に入って、まず手術前には、血液検査を行ないます。これは赤血球と白血球を調べて手術が出来るか否かを決める手立てとなるようです。そしてもちろん鎮痛剤も打ちます。手術前のこうした処置に対して痛くないようにするためです。

4_3 ショルティは、右足に大きな針を刺されてもおとなしくじっとしていました。他の犬と比べてどうですか?と聞きますと先生は、「なかなかおとなしい犬だ」と云ってくれました。

血液検査では、手術OKという結果でしたので、早速大きな麻酔の注射液をすでに刺さっているところから注入しました。すると風船が萎むようにゆっくりとショルティの体の力が抜けていきました。

6 そして、いよいよ手術の準備です。手術に際して心電図、脈拍、酸素濃度、二酸化炭素濃度などのセンサーを次々につけてモニタリングし出しました。そして、手術を始める寸前に、先生が「あっ、呼吸がとまつたねぇ・・・」と、困った風でもなくひとつの現象みたいに云われました。

それを聞いた私は、驚きましたが・・・先生は、「じゃあ人工呼吸で行きますか・・・」とあっさりと言って機械の操作をされたのです。「先生、大丈夫なのですか?」と、問いただすと、「あのう・・・よくあることなのです。獣医によっては最初から人工呼吸で手術をされる先生もおられますから・・・手術の途中で止まった方が危険といえば危険なので・・・」と言われて、冷静そのものです。

Photo   歯石のオペは女性の方がされていて、先生と私はその状況を見ながら、先生に色々と質問を浴びせました。この地区では歯石を取ることをお願いするのが少ないことや、最近の動物病院では、特に都市部で治療の専門化が進み、眼科、耳鼻科、皮膚科といった人間と変わらないぐらい専門医で開業されている方がいるということも話として聞き出しました。

歯石は超音波の衝撃で砕いていく感じです。熱が出ますから水も注ぎます。その治療法は人間と一緒です。しかし、歯石の着き具合は半端ではありません。取るのにひと苦労のようです。それを見ながら、白内障の話になりました。犬も歳をとると白内障に掛かるようです。

9 そしてなんと人間と同じくその手術があるそうです。水晶体を超音波で砕いてその欠片を吸い取って、代わりにプラスチックレンズを入れる手術ですが、人間だと準備してからだと、五分ぐらいで終わるぐらいの早さですが、犬の場合は、人を手術する医者が犬のオペをやると意外と梃子摺るようです。

その理由を聞くと、犬の水晶体は人間のものより固いそうです。だから二~三十分は掛かるとの事です。「年老いた犬に白内障の手術をしても、意味ありますかねぇ~」と先生に聞きますと、「それが・・・どうも術後、犬にとって生活意欲が湧いてくるみたいですよ・・・」とのことだったので、やはり犬と雖も人間と同じ心持なのだなあ~と思いました。

10 そうこうして時間が経ち、歯石をとった後は、歯をきれいに研磨して、そして徐々に麻酔が切れるのとそれに合わせて、自力呼吸が開始されるのを待ちます。もともと、麻酔は注射の液では三十分ぐらいしか持たないようにしてあり、あとは鼻からのガス麻酔で利かせていたようです。

やはり、自力呼吸をするまでは見ていて緊張します。万一、うまく戻らなかったら・・・と余計な心配をします。このときはわが子同然の不安感です。そして、先生にこう尋ねました。「先生、やはりこうした手術は、最初と最後が特に油断ならないのでしょう・・・」と、そしたら「そうですね・・・」と言いながら、呼吸器をちょっと止めては、ショルティの足の裏を揉んだりして様子を伺っていました。

11 すると、お腹がピクリと動いて、「あっ、呼吸をし出した・・・」と小声で看護婦さんが言います。そして、さらに様子を伺います。しばらくすると急にショルティが、ガバッと起き上がって、なんだ!と言わんばかりの顔をして身に着いた物を急に取ろうとして暴れます。

そこを素早く、「ショル!大丈夫だよ!」と云って抑えてあげました。身に着いた物が除かれて、私の顔を見て安心したのか、すぐに落ち着きを取り戻しました。時計を見ると丁度一時間と四十分掛かっていました。

先生から、術後の検査を済ませる必要があるので五時ごろ引き取りに来てくださいとのことでしたので、一旦帰ることにしました。治療費は金額として一万五千円で済みました。こうした動物病院は、地域や病院によって治療費は変わるそうです。要するに取り決めがないとのことでした。

料金については、事前に説明を受けていましたが、人間と違って保険とかが無いですから「うわっ高いなあ~」といった感じがしていましたが、いざ治療に立ち会うと、色々な処置がこんなにも沢山あることに驚き、逆に安いいなあと・・・申し訳ない気持ちでした。

ショルティを五時に迎えに行った時は、もちろん!お礼のお菓子をもってご挨拶しました。ショルティはなんだかホッとしたようでうれしそうでした。

そして肝心なことは・・・これから、ショルティの歯磨き特訓をしなければならないということです。これについては後日また・・・書くつもりです。

愛犬家の皆さん、犬でも歯磨きをしないとこんなことになりますよ!

by  大藪光政

 

 

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あと少しで2008年を迎えます。

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今年も残すところあとわずかです。

最後の日は、ブログ作成に追われていました。

マイテックのホームページの中の『今月のメッセージ』と『Event  Logging』をブログに移行するための作業です。ブログだと、記事だけの場合は設定が楽ですから、その分余計な時間を取りません。

朝は、家内の両親を迎えに車を飛ばして行きました。途中、小雪の中、私の両親と兄がいる納骨堂に立ち寄ってお線香を上げて木魚をしっかり叩いて、ご挨拶をし、ふじの湯の里温泉に二時間ほど浸ってきました。

それからが、大変です。新規のブログを二本作って、ホームページとのリンク作業と、その他の更新ページを作成してあと、2008年になってから送信するだけです。

でも、へとへとなのでこれを書き終えたらひとまず眠りにつきます。カウントダウンは、時計に任せとけばいいのです。

そばにいるショルティはもうすでに、お寝んねしています。さぞ明るすぎて、ご迷惑だと思います。人間様と違って、酒を飲むことなく大晦日を過ごしています。健康そのものでよいとは思いますが、ちょっとさびしい犬生(人生)かなあ~。

by  大藪光政

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素朴な旅・・・

017 田舎では、町内会に高齢者の会がありますが、こうした会に入らない方もおられます。こうした会は、高齢者同士のお付合いを楽しむことと、懇親の意味で時々交流をされるのですが、「わしは、まだ老人ではない!」といって入会を阻む方もおられますし、60歳を過ぎてもまだ元気に働かれていて、時間的都合がつかない為、そうしたお付き合いに入られない方もおられます。

先月、回覧板が回ってきて、町内の『若葉会』からのお誘いとして、一般の方も旅行をご一緒しませんか?とのお誘いのチラシが入っていました。それで、「なるほど、うちの町内は、お互いに、同席して一杯飲む機会がほとんどないから、こうした旅行でも企画すれば・・・結構、面白いかも?」と思って賛同しました。

参加費も、一泊二日にしては、かなり安いのもあって、気軽に行ってみようという気になり、紅葉も楽しめて、温泉に入り、一杯酒が飲める。これはいい!と、早くも当日を楽しみにして指折り数えていました。

そして、その旅行日となったのですが、実際参加したのは、『若葉会』が12名、肝心の一般の人は、なんと私一人であったのです。でも、旅行はあまり大勢で行くものではないとは思っていましたので、寂しいといった気持ちはなく、これぐらいでちょうどいい!と喜びました。

『若葉会』の参加者が少ない理由は、まず健康上の理由と、あとは家の都合によるものでした。そして一般者の参加が私以外に、なかったのは、推測として平日だったことだろうと思います。

013 それで、逆に、『若葉会』の方々から私の参加の理由を聞かれる始末です。その回答に対して、面倒くさいから「あのう・・・安かったからです!」と答えたら、皆さんなるほどと、納得されて笑われました。

バスの中では、旅行会社の添乗員さんが、いろんな旅先の案内をされるし、あまりにもすらすらと解説が詳しくうまいので、聞いたら元は、バスガイドをしていたとのことでした。

熊本の観光地を巡るに当たっては、意外と皆さん足が健脚でしたので、見物の時間が遅延することはなかったのですが、旅行会社のコース時間の設定にミスがあり、最後は、少し割愛しての急ぎ足見物になってしまいました。

037 見物して印象に残ったところでは、宮本武蔵が籠もって五輪の書を書いたとされる霊巌洞と、築城400年の熊本城でした。熊本城では、飯田丸五階櫓を見学しそこなったのが、心残りでした。天守閣なんぞは後で建てた近代建築ですが、飯田丸五階櫓はそのままの状態ですから、建築価値があります。

029 旅館は、内牧温泉にある阿蘇プラザホテルでしたが、部屋は和室で、ロビーや大浴場、その他施設もきれいでした。到着すると早速屋上にある露天風呂を目指しましたが、行って見ると、内湯と露天が繋がっていなくて、わざわざ通路を通ってそとまで歩かなくてはならず、風と寒さで露天に入るのを断念しました。

あとで、1階の大浴場の様子を聞いてみますと、露天もあり、サウナもあるとのことで、ただ、内湯は水蒸気で先がまったく見えないとのことでした。そこで翌日の朝風呂は大浴場に決めて、朝風呂を入りましたが、本当に内湯は霧のような水蒸気で先がまったく見えません。

これだと、混浴でも相手がまったくみえないなあ~と思った次第です。それで、ゆっくり内湯の中を移動してみますと、まったく人がいないことに気付きました。「うむ・・・わし一人の貸し切か?」と満足して、今度はすぐ前にある露天風呂に移動しました。

069 露天は、外気のお陰で見通しはききます。そしてその露天も私一人だったのです。結局大浴場は、私一人の貸切だったのです。でも何故?約400名が入っているこのホテルの大浴場に・・・何故か?タイミングとは言え、貸切状態だったとは?

その理由は、これは推測ですが朝の朝食は、バイキング料理ですから、早くに食べに行く人が多いということと、おそらく宿泊客が海外からの旅行客がたくさんいたので、朝風呂に入る習慣があまりないのでは?と思いました。

宴会では、添乗員さんの司会のもとに、皆さん上品にカラオケを歌われたり、踊られたり、そしていろんな雑談を交え楽しいひと時でした。私のお隣の長老の方は、満州からシベリアに抑留された時の話とか、軍人であったために帰国してから苦労をされた話とかをお聞きすることができました。

皆さん、時代の流れに沿って色々な経験をされ、今日に至ったことを・・・、私自身健康であれば、もうすぐこうした年齢になり、こうした立場になるのだな・・・と実感した次第です。こうしたことを読み取ることも、私の目的であったわけですが、会長に一言、「結局、若葉会の活動に参加するには、まず健康ないとだめですね・・・」と言いましたら、一瞬して、私の顔をじっと見て「ええ」とにっこり笑われました。

065 『若葉会』の会長は面白い方で、部屋割りをするとき、非常に決断が早く、「女性は話し相手が多くないと寂しいでしょうから、四人ずつの二部屋で・・・そして、男性は三人と二人で二部屋、お願いします・・・あとの組み合わせは皆さんでお決めください!」と言われ、「大藪さんは私と二人でひと部屋を取りますが、この部屋をあとで、二次会のお部屋にしたいと思いますが、如何でしょうか?」となかなか、部屋割りの決め方に根拠があって、不満がでないように考えられておられる。

会長は到着して部屋に入った時、早速一息でお茶を・・・と思ってこちらが気を利かせて入れようとしたら、なんと自前の梅酒を取り出すではありませんか!そして、「この梅酒、私が作ったのですが・・・どうぞ・・・これに焼酎を入れるとさらにおいしく頂けますよ・・・」といって私に勧めてくださいました。

なかなか元気のよい、そして気の利く会長で、65歳まで会社を勤めきって、退職してからは、悠々自適の生活で、田畑での栽培に余念がないとのこと・・・そして季節に応じて、田畑の作物に対して何をなすべきかを考えなくても、体が自然とその季節と作物に応じた動きがとるようになったとおっしゃる。所謂、自然体とはこのことを指すのでしょう。

075 自分の老後の余生を考える時、そうした自然な体の活用と流れができれば、理想だなとつくづく思った次第です。

自分はいつまでも若いと思うのは、おろかで、今回の旅において、老後の未来を考えさせられることも、しばしありました。

by  大藪光政

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ショルティの気持ち・・・

20071006_016 シェトランド・シープドッグ(通称シェルティ犬)という犬の種類は、犬に関心のある方はご存知かと思いますが、外見はコリー犬に似ていますが、小柄です。しかし一応中型犬です。

もう、飼って九年経ちますが、病気や怪我のひとつもせずに元気そのものです。この犬は牧畜犬なので、よく動き回ります。そして音に敏感で、賢いといえば賢いです。

さて、我が愛犬は西洋の犬なので、自我の確立がいろんな行動にて出てきます。たとえば散歩のコースも自分の気に入らないコースにさしかかると、とたんに座り込んでそのコースを拒否します。

こちらが、おやつを食べているのを見つけるとリビングのガラス戸を前足で、コンコンと叩いて「わしにもくれ」と催促します。もし、おやつの分け前をやらないものなら、家の裏に回って、裏の家の犬に吠えて、「主人がおやつをくれない!」と言い付けます。

また、あるときは外に散歩をしたくなったら、リビングのガラス戸を前足で、コンコンと叩いて私に、外に出ようと誘います。それで「散歩に行こうか?」などと言えば、その場でぐるぐる回って、大喜びで裏の犬に「おれは今から散歩に行けるのだぞ!」といって喜びの雄叫びをあげます。

ショルティはご近所では、皆から「ショルちゃん」という愛称で呼ばれます。もともとは、「シェルティ犬なので、ちょうど指揮者のゲオルグ・ショルティの名前をダブらせてつけたものなのですが、皆さんそんなことはご存知ないので、「ショルちゃん」といっているのです。

このショルちゃんはとても、人にやさしいのです。とてもちいさなお子様から、大人まで、怪しい人で無い限り、誰が体のどこを触っても大丈夫なのです。でも、相手が犬だと、自分より体が大きくてオスだと警戒します。小さな犬や猫ならたとえオスでも心配なく応対ができます。

お隣の奥さんが庭をいじっている時には、フェンスに自分の体を寄せ付けて、触ってくれと甘えます。そして、隣のご主人が出かける時とか、帰ってくる時は必ず、車庫の近くまでフェンスを前足で叩くようにして、送迎をします。

そんなショルちゃんと散歩に出かけた時、ご近所に身障者の方がおられて、ちょうど施設の車が、お迎えに来られているのに出くわしました。先方も、もちろんショルちゃんを知っています。すると、車椅子の傍におられたお母様が、「まぁショルちゃん、おはよう!」といって「ショルちゃんおいで!」と、その場でしゃがんで声を掛けられました。

すると、ショルティは走って駆け寄りました。どうも犬ってやつは、立ったまま「おいで!」といってもなかなか来ませんが、しゃがんで目線を同じにして、「おいで!」と言うと、飛んでくる仕掛けになっているようです。

それで、そのお母様が、「タカシさん(仮名)、あなたも触ってごらん・・・ほら、ショルちゃん毛がふさふさしている・・」と言われましたので、私が「ええ、立派な毛皮でしょう!」といって笑いながらタカシさんを見ると、本人は触りたくても手が自由に伸ばせません。

ショルティは、車椅子の方を見ましたが、少し遠慮がちにタカシさんを見守っています。それで、私がショルティを抱えて、タカシさんの傍まで寄せて上げましたら、やっとタカシさんの手に触れることが出来、タカシさんの顔にうれしい微笑みが浮かびました。

その笑顔は、本当に清々しい笑顔でした。毎日、新聞でやれ偽装だなんだかんだと騒ぐ世間とはまったく無縁な、純粋で、気持ちの良い朝にふさわしい笑顔でした。

ショルティは、一通りのご挨拶を済ませると、早速お好み散歩コースを私と一緒に出かけました。ショルティは意外と人の気持ちがわかるみたいで、こうした人と人のふれあいも意外と大切にしています。

犬は飼い主に似ると、言いますが、立派な犬に育てようとしたら、まず「隗より始めよ」の格言通り、自身から身を正さなくてはなりません。

偽装をさせておきながら、社員が勝手にやったことだから・・・との言い訳をする経営者には、社員を育てる資格はないのです。

本当に困った世の中になりました。経営者は、動物を育てることから多くの教訓を得る必要があるのではないでしょうか?

by 大藪光政

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遠藤周作という人

2007_003

作家である遠藤周作は、カトリック信者ということで、宗教臭い作家と思って本を読みもせずに距離をおいていました。つまり食わず嫌いです。しかし、昨日遠藤周作の講演のテープを聴いて、変わった人であることに気付きました。

彼の講演を聴いて、キリスト教に関する色々な思考と日本人の資質に対しての認識を新たにしました。そして、彼の人としての魅力も感じました。今までキリスト教信者と会って話すことは、稀でしたが話してみると違和感を覚えてしまいます。それはキリスト教信者に限らず、特に自分の信じている宗教が一番正しいのだという身勝手な思い込みの信者に出会うと特に嫌悪感が自然と出てしまいます。

さて、遠藤周作は本当にクリスチャンとしての資質をもった信者なのか?と思わせるような発言が講演の中から飛び交います。彼は西洋の異質な文明から伝来したキリスト教が、日本の宗教の一部として入り込めた要因を仏教などとの関わりや日本人の気質から色々と分析し、現実的な日本人の宗教心を炙り出しています。

遠藤周作は、隠れキリシタンをキリスト教というより、仏教としての観音像を聖母マリアに見立てて信仰する所謂、帰化してしまった宗教という分析を、日本人の気質から導いています。そして、もう少しキリスト教が罰とかいった父権的な怖い宗教でなく、母としての共に苦しみを分かち合うようなそして慈愛に包むような方向で布教していったらもっと信者が多く存在していただろうと述べています。

また、信者になる動機が現世利益的な要因(当時、キリスト教を受け入れることで、貿易、医療、などその他の利益)が、このキリスト教布教に繋がったと述べています。遠藤周作は、そのことについては、始めから純粋に宗教そのものに感動して入信するものはなく、ごく自然なことだとも言い切っています。しかし、こうした発言はキリスト教会においては、非常に不愉快な発言です。現に本人曰く、自分の書いた本が教会では禁書扱いにされたそうです。

また、日本人の入信のきっかけが個人としてより、集団としてのタテ社会に弱いことが上げられています。西洋のように狩猟民族ではない農耕民族としての気質がそこにあるともいっています。ですから上がキリシタンになれば、部下は右へ倣いですし、上が改宗すれば、下もそれに従いますから日本人の宗教心とは簡単にチェンジできるものであると分析しています。

遠藤周作は、クリスチャンとしてこうした様々な分析を現地で真剣に行って結論付けていますから、これはすごいことです。普通ならクリスチャンでもない第三者がこういう行動をしても、キリスト教教会は痛くも痒くもないでしょうが、身内がこんなことをするなんて、と怒ったことでしょう。遠藤周作はいたずら好きな人と聞いておりますが、このいたずらは本物のような気がします。

話の中で、キリスト教を捨てるか否かで、もし捨てなければ肉が解けてしまって骨だけになる地面から湧き出した硫黄くさい沸騰した池に漬けられる本当にあった話で、遠藤周作は友人の三浦朱門にお前ならどうすると聞いたところ三浦朱門は、「ちょっと辛抱できるけど、あとは自信がない」と答え、傍にいた宣教師にも同じ質問をしたら、えらく怒って「そんなことはわからない」といったようです。もしも、宣教師がキリストをとると答えたら絶交したと思うと遠藤は言って笑っていました。それで、三浦朱門が「お前ならどうする?」と聞かれ、「わしは、その場で気絶して倒れてしまうよ!」と言っていましたが、遠藤周作は本当にいたずらぽい人ですね。気絶して倒れるってうまい逃げ口上ですね。恐らくそうした切り返しの質問の答えも、ちゃんと用意していたのでしょう。

彼のこの意地悪な質問は、人間の弱さを一番よく知っていることから発したのでしょう。そこに遠藤周作の人間的魅力を感じ、また宗教というものの捉え方を少し考え直して見るには、彼の意思により棺に入れるように云った『沈黙』と『深い河』の二冊の本を読んでみようという気持ちになりました。そこには、彼のお勧めの哲学が詰まっているかもしれません。

by  大藪光政

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