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2007年8月

夏の終わりに・・・

20070916_011 気が付くと、今までうるさかった蝉が鳴いていません。すっかり静かになりました。道路には、アブラゼミやクマゼミの屍骸が転がっています。そして太陽はすっかり傾いていて、夕方の散歩は、少し涼しくてショルティと散歩しやすくなりました。

先日、図書館から借りてきた司馬遼太郎の講演テープ「わたくしども人類」を聴きましたが、がっかりした内容でした。どうも司馬遼太郎という人は、雑学としての歴史的知識はありますが、あまりにも哲学としての糧がない。講演内容も、自分の知識を散りばめるばかりで、それでどうなんだといった考察がありません。そしてテーマは大きい割りに内容はお粗末です。本人はあらかじめ何を語るかを決めてきているのに話の展開が狭いです。

また、その知識といったら、知らない人が聞けば「そうかな」と信じますが、専門家が聴けば、「嘘言うな」といったことがありそうです。現に、講演で電柱のトランスの働きを比喩として使っていましたが、電圧と電流の違いもわからないありさまでの比喩でした。

その点、小林秀雄の方がテーマも無く、何を話すかも決めてきていないが、いざ話始めると話しながら並行して思考を練って自問自答して自分の考えを打ち出してゆきます。すなわち彼には哲学があるのです。

以前、「坂の上の雲」を読みましたが、これは小説なのか?歴史解説なのか?何を訴えたいのか?不明確です。歴史的事実を発見したような感じで書かれていますが、どこまでそれが真実なのかもわかりません。単なる歴史の見方の違いを売りにしたのであるならば、この本に書かれている歴史的事実が異なっていることが明らかになれば、この本はそれで終わりでしょう。あくまでフィクション的に描いているのならばストーリの躍動感とそれなりの哲学さえあれば、読まれ続けるでしょう。しかし、残念ながらこの本は、その点が中途半端で終わっています。

司馬遼太郎の講演を聴いていて、この人は自分の考え、すなわち哲学の無い人なんだなということがわかり、彼の作品もその程度の内容であるのがわかりました。小説はただ長ければ良いというものではないという見本でしょうか? 

by  大藪光政

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残暑中はおとなしく知識を蓄える!

新聞やテレビのニュースでは、今年の夏は74年振りの最高気温を記録したそうですね。熱中症で亡くなられた方もおられるようです。こんなに暑いときはじっとしているのが一番ですが、仕事の関係でそうもゆかない方もおられるでしょう。

こんな暑いときは、デスクワークが一番ですが、運動不足も体によくないようです。しかし、朝散歩しても、じわじわと汗が後で出てきますからいやになりますね。シャワーを浴びても収まるのにかなり時間が掛かります。

暑い日々は、思考能力が落ちるというよりは、あまり難しいことを考えたくなくなるようです。つまり、取り組む意思が弱くなるのでしょう。

そんなときは、人が書いた書物を読むのが一番ですがそれも物によるでしょう。お盆前から小林秀雄の「本居宣長」を読み始めましたが、やはり本人が20年近く掛けて書いた書物だけに、そう簡単に読み進むことができそうにもありません。資料として古文や漢文が次から次へと出てきますから、理系の私にはたまりません。

でも、外へ出ることや、自分で新しいことを構築することを考えますと、まだ人が書いた本を読む方が楽です。

最近は、図書館から著名な文化人の講演テープを借りてきては、ダビングして聴いてます。そのためにビクターのRD-M2という機器も購入しました。これは、大変便利なやつです。メモリーが内蔵されていてかつ、USBメモリーにもダビングができるのです。ですからそのダビングしたUSBメモリーをパソコンを還して今度は、HDDに保存が出来ます。こうして必要な図書館のテープ資料を、すべてストレージ保存ができるのです。

意外とテープには、貴重な文化資料が多くありますので、これを個人レベルでデジタル保存することが出来るようになったのも今日の技術進歩のおかげです。その技術をこうしたところに活用すれば、孫の代まで文化資料をいとも簡単に継承できます。

今は、仕事をしながらこうした"文化遺産のダビング"を並行して行っています。エアコンの効いた部屋での仕事と余暇をこうして楽しむことが出来るのも、暑い夏のおかげです。

暑い夏は、じっとして知識を蓄え、秋にかけての創造的仕事の下地作りに励むべし!

by  大藪光政

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