文化・芸術

遠藤周作という人

2007_003

作家である遠藤周作は、カトリック信者ということで、宗教臭い作家と思って本を読みもせずに距離をおいていました。つまり食わず嫌いです。しかし、昨日遠藤周作の講演のテープを聴いて、変わった人であることに気付きました。

彼の講演を聴いて、キリスト教に関する色々な思考と日本人の資質に対しての認識を新たにしました。そして、彼の人としての魅力も感じました。今までキリスト教信者と会って話すことは、稀でしたが話してみると違和感を覚えてしまいます。それはキリスト教信者に限らず、特に自分の信じている宗教が一番正しいのだという身勝手な思い込みの信者に出会うと特に嫌悪感が自然と出てしまいます。

さて、遠藤周作は本当にクリスチャンとしての資質をもった信者なのか?と思わせるような発言が講演の中から飛び交います。彼は西洋の異質な文明から伝来したキリスト教が、日本の宗教の一部として入り込めた要因を仏教などとの関わりや日本人の気質から色々と分析し、現実的な日本人の宗教心を炙り出しています。

遠藤周作は、隠れキリシタンをキリスト教というより、仏教としての観音像を聖母マリアに見立てて信仰する所謂、帰化してしまった宗教という分析を、日本人の気質から導いています。そして、もう少しキリスト教が罰とかいった父権的な怖い宗教でなく、母としての共に苦しみを分かち合うようなそして慈愛に包むような方向で布教していったらもっと信者が多く存在していただろうと述べています。

また、信者になる動機が現世利益的な要因(当時、キリスト教を受け入れることで、貿易、医療、などその他の利益)が、このキリスト教布教に繋がったと述べています。遠藤周作は、そのことについては、始めから純粋に宗教そのものに感動して入信するものはなく、ごく自然なことだとも言い切っています。しかし、こうした発言はキリスト教会においては、非常に不愉快な発言です。現に本人曰く、自分の書いた本が教会では禁書扱いにされたそうです。

また、日本人の入信のきっかけが個人としてより、集団としてのタテ社会に弱いことが上げられています。西洋のように狩猟民族ではない農耕民族としての気質がそこにあるともいっています。ですから上がキリシタンになれば、部下は右へ倣いですし、上が改宗すれば、下もそれに従いますから日本人の宗教心とは簡単にチェンジできるものであると分析しています。

遠藤周作は、クリスチャンとしてこうした様々な分析を現地で真剣に行って結論付けていますから、これはすごいことです。普通ならクリスチャンでもない第三者がこういう行動をしても、キリスト教教会は痛くも痒くもないでしょうが、身内がこんなことをするなんて、と怒ったことでしょう。遠藤周作はいたずら好きな人と聞いておりますが、このいたずらは本物のような気がします。

話の中で、キリスト教を捨てるか否かで、もし捨てなければ肉が解けてしまって骨だけになる地面から湧き出した硫黄くさい沸騰した池に漬けられる本当にあった話で、遠藤周作は友人の三浦朱門にお前ならどうすると聞いたところ三浦朱門は、「ちょっと辛抱できるけど、あとは自信がない」と答え、傍にいた宣教師にも同じ質問をしたら、えらく怒って「そんなことはわからない」といったようです。もしも、宣教師がキリストをとると答えたら絶交したと思うと遠藤は言って笑っていました。それで、三浦朱門が「お前ならどうする?」と聞かれ、「わしは、その場で気絶して倒れてしまうよ!」と言っていましたが、遠藤周作は本当にいたずらぽい人ですね。気絶して倒れるってうまい逃げ口上ですね。恐らくそうした切り返しの質問の答えも、ちゃんと用意していたのでしょう。

彼のこの意地悪な質問は、人間の弱さを一番よく知っていることから発したのでしょう。そこに遠藤周作の人間的魅力を感じ、また宗教というものの捉え方を少し考え直して見るには、彼の意思により棺に入れるように云った『沈黙』と『深い河』の二冊の本を読んでみようという気持ちになりました。そこには、彼のお勧めの哲学が詰まっているかもしれません。

by  大藪光政

|